カラテウサギのカラウサ雑記帳(ゴルフとラーメンとその他)

中年サラリーマンが空手を始めたら「劇的に人生が変わった!」の空手・格闘技以外のお話

手作り餃子があると聞いていたのですが、そこにあった物は?

この記事は随分前の記事ですが、ブログを引っ越したので再投稿です。

 

先日は会社の空手部の練習でした。

今回は後輩君の大学時代の空手部の方も来てくれて、実にいい練習ができました。
上級者と相対すと、動きのスピードや間合い、距離と余裕が全然違います。

組手で突かれると、恐怖と同時に高揚した気分になるのは、なんででしょうね。

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皆さんも割と久々の空手をしたらしく、楽しかった!!疲れた!!と笑顔で話してましたね。
よく野球少年のような大人とか言いますが、空手少年にも当てはまると思います。

 

そんな帰り道。
妻からのメール。
「今日は子供たちが餃子を作ったので、帰ってきたら食べて。」とのこと。

私は電車にゆられ、家に帰ってきたのは、既に日付も変わった頃でした。

腹ぺこだった事もあり、とりあえず缶ビールと餃子を探します。
缶ビールを確保します。缶ビールといっても発泡酒ですが、酒の味が分かる訳でもないので、まぁなんでも良いのですが。


ところが冷蔵庫を探せど、餃子は見つかりません?
子供たちが作ったという餃子は、影も形もないのです。

凍らせたのだろうか?冷凍庫を覗いてみても何もありません。

「子供たちが作った餃子を食べて」と言っていた割にその餃子は無い訳ですから、その時は食べちゃったのかな?それとも捨てちゃったのかなと思ったのです。

 
ですが、冷蔵庫の中にちょっとした違和感を感じました。

餃子ではないが、ラップがかかった小さなお皿が一つ。餃子とは豪快に大きなお皿にでーん!と乗っているものだと思うのです。
こじんまりとしたこのお皿をよく見てみると、そこにはワンタンというべきか、シューマイというべきかよくわからないものがあります。

いや、正直に言えば冷蔵庫を開けた瞬間に感じた違和感。

その違和感を感じつつも気づかぬふりをしていたのかもしれません。

そう、この小さな入れ物に入ったワンタンのようなものが、シューマイのようなものが、本日の餃子であったのです。

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いや、これ、、、ワンタンじゃないの?と思わず言いたくもなります。

唯一ひとつだけよく見ると餃子風な形のワンタンもあります。私は心のどこかで違っていて欲しいと望んでいたのかもしれません。

しかも餃子を作ったのであれば餃子のタレを用意すべきではないかと思うのです。そんなものは何処にもなく。

更に言えば我が家にはなぜかラー油がないのです。酢もりんご酢的なものでノーマルな奴がないのです。

私はやむ無く、なんでも合う魔法の調味料、味ポンを利用することにしました。

 それにしても、これを餃子と言ってしまえるその感覚を疑います。
言うなれば、肉まんを指しておむすびと言っているような感じです。


とはいえ、気を取り直して、いただく事にします。子供たちがせっかく作ってくれたわけですから、見た目なんてどうでもいいんです!!

中身がおいしい餃子であれば何ら問題はありません!!その辺は私も人の親になりわかってきたところです。
餃子と言ってるわけですから、見た目はワンタンでも中身は流石に餃子であろうと思います。

 


早速食べてみます。

 


口に含んだ時に、餃子の皮の中にあるのは、ひき肉と野菜が入った餡です。
焼き餃子の香ばしい香りと、中の熱い餃子を頬張ると空腹が少しずつ満たされている気がします。

ご飯があったら、ぜひご飯と一緒に食べたいですね!!!

 

ただし、これは明らかに餃子ではない。


なんだろう、、、全てが違うんです。入っているものも形はワンタンですが、おそらく元になった材料は同じかもしくは近いものだと思います。

なのに口に含むと、ラーメン屋で餃子を食べ続けた私の脳が、「おい、今何食べたの?」と語りかけてくるのです。

 

美味しいとか、まずいとかそういう次元の話をしているのではないのです。

小学生の頃、夏休みのお昼に麦茶を勢いよく飲むと、素麺のめんつゆだった時と同じような感覚です。そう、一言で言うならば違和感。

私の脳は当然混乱します。


脳「おい、今日って餃子じゃなかった?」
目「ああ、でも、ちょっと違うみたい。」
舌「なんか違うよね。これなに?初めて食べる感じだけど、、、。」
脳「いや、、、なんかっつうか、全然ちがくね?餃子じゃないよね。」
目「あれ、ワンタンだったよな。」
脳「でもワンタンでもない味だよな。」
舌「え、ワンタンも餃子も全然違うよ。流石にわかるよ。」
目「結局今日は一つも餃子ぽいのは見かけなかったな。」
舌「味も餃子はなかったよ。」
脳「いや、、、でもさ、餃子って聞いたんだよ。子供たちが作ったからって、、、。」
舌「えー、そうなの??ちょっとでもなぁ、、。」
胃「まぁまぁ、皆さんいいじゃない。私なんて何来たっておんなじ様なものなんで、餃子といえばそれが餃子ですよ。」
一同「ああ、まぁ、、胃がいいって言うなら、、、、。」


とこんな感じです。


でも私はハッとしましたね。いつの間にか自分の決めた価値観の中でしか生きていなかったのではないかと。
餃子はこうあるべきなんて誰が決めたの?
昔、海の向こうは滝になっていると人は考えたそうです。
昔、太陽は地球の周りを回っていると思っていたそうです。

ひとつの価値観を大事にするよりも、いろんな価値観があるから面白いのだと思います。


結局のところ、私が言える事は、無理に家で餃子を作らずに、冷凍餃子をチンすりゃ良くない?ってことです。